田舎の梅農家 プラムハウスふなやま
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旧南部川村紹介
今や、全国的にその名をとどろかせる「紀州南高梅」。その南高梅を育てた人々、そして旧南部川村。日本一の梅の里と呼ばれるようになるまで、また「南高梅」と呼ばれるようになるまでの歴史を紹介したいと思います。
 


第1章 第1章 南部川村と梅の歴史
 南部川村(現代のみなべ町)の前身となる「上南部村」「清川村」「高城村」を中心に、なぜこの南部川村で梅栽培が盛んになったのか、誰が梅の栽培を事業家していったのか。江戸時代〜明治頃までの「梅」を中心にご紹介していきます。梅栽培が盛んになった意外な理由を知ることが出来ます。「梅の郷・南部川村(現代のみなべ町)」の歴史の始まりです。

第2章 第2章 南高梅誕生物語
 今や日本を代表する梅の産地となった南部川村(現代のみなべ町)。その主力とも言える「南高梅」が誕生するまでにはたくさんの人の努力がありました。なにもせずに「南高梅」が生まれてきたわけではありません。そこには「手作業」の歴史がありました。また「南高梅」名前の由来に関係する、高校野球でも有名な「南部高校」も出てきます。

第3章 第3章 うめ21研究センター
 南部川村(現代のみなべ町)では農家だけでなく、行政としても梅の取り組みに力を入れています。その代表的例が「うめ21研究センター」です。村役場の管轄でありながら、独立した建物を持って日々研究を重ねています。具体的に何を研究しているのか、なぜそんな研究所が必要なのか。そこには「南高梅」の特異な繁殖方法と「南高梅」を守る取り組みが関係しています。

第4章 第4章 南紀用水事業・嶋ノ瀬ダム建設
 小さな村「南部川村(現代のみなべ町)」にはダムがあります。そのダムの支流には大型ポンプを据え付けた「ポンプ場」がいくつもあります。このダムには長い時間と労力がかけられ、今では南部川村(現代のみなべ町)だけでなく、周辺の農業を支える役割をしています。山間地帯の和歌山県にある南部川村(現代のみなべ町)での“水”の苦労を解消してくれる、大切な施設をご紹介します。

第5章 第5章 プラムハウスふなやま
 普通の農家が始めた梅干し屋さん、プラムハウスふなやま。農家だからこそのこだわりと苦労が、本当においしい梅干しを作ります。私達が取り組めることは「昔ながら」に由来します。なぜ、「昔の方法」と「手作業」にこだわるのか。その理由を知っていただければ、私達の目指す梅干しの姿を理解して頂ける思います。


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